母の命日
母がなくなって26年が経った。 一生のうち、半分ぐらいは
死に物狂いの苦労続きだったと思う。いちいち書くと
小説になるぐらいのことなのでやめるが、とにかく、
戦後の食糧難の時代に、38歳で夫と死別して、
3人の子供を育てる苦労は並大抵ではなかったと思う。
こどもをつれて滝壺に身投げしようと思ったことも
あるといっていた。晩年は姉と同居して、義兄が
優しい人だったので、穏やかに幸せに暮らす事ができ
26年前の朝、一張羅のブラウスを着て、丹念に
洗面所で身繕いをして、朝食の最中に、お茶碗と
箸を持ったまま逝った。晩年全盲になったが、
89歳のその日まで、おむつをしたこともなく、
粗相もなかった。叔母たちも、親戚の人たちも、
こんな死に方をしたいと口々に言った。
私もそうありたいとおもっている。お棺に
眠る母の顔は美しかった。
6月に27回忌の法事をしたが、三姉妹で、
今、みんな幸せに暮らせるのは母のお陰、
感謝して暮らそうね、と。
夕飯
トマトと豆腐と枝豆の卵とじ ピーマンの塩昆布和え 冬瓜と竹輪の煮物
ぬか漬け きゅうり、人参、大根