終わる
人にも物にもおわりがある。 東京の豊島園が閉園になると報道されている。94年の歴史に幕を下ろすと。 80年前に私は幼稚園の遠足で行った。その頃、神田岩本町に住んでいてまだ幼稚園には行っていなかったのに、姉の遠足についていくといって、大泣きをして親を手こずらせ、仕方なくお手伝いさんがついて、特別に連れて行ってもらった。その頃から言い出したらきかない困ったちゃんだったらしい。 4歳だったとは言え、いまだに木立や池の周りの木の柵などが、なぜか脳裏に焼き付いている。当時は今のように遊具やアトラクションなどはなかったように思う。以後80年も訪れたことはないが、思い出の場所がなくなることは悲しい。
今月は、夫の姉がなくなった。92歳で歳に不足はないとは言え、足の怪我からばい菌がはいり破傷風になってあっという間になくなってしまった。
もう一人、同級生がなくなった。彼は長年同窓会のお世話をしてくれた人、いつもニコニコ笑顔の人だった。
我が家の畑も、灼熱の日照りに耐えきれず、作物が悉く青息吐息で、終わりに近づいている。
豊島園の閉園と、人の死と、畑とを一緒にするわけではないが、要するに何にでも終わりがあるのが世の常。
トマトも
オクラも
ゴーヤも
茄子もしんどそう
晩ご飯 オクラ、 なす、かつぶし、しょうが醤油かけ、 鯖味噌煮、 玉蜀黍
まとまりもなく、とりとめもなく、頭がよく働いていない。