ちえこのつれづれ日記

はじめてブログに挑戦しました。皆様よろしくお願いします。

終戦記念日


今朝も5時から庭の草取りを始めたが30分ぐらいで雨が降ってきて中止。大型台風が近づいてきている。不思議に蝉も、小鳥も鳴いていない。台風がくることを知っているのだろうか。


今日は終戦記念日。あれから74年も経ったのか。終戦の日私は9歳だった。東京大空襲から逃れ、山奥の母の実家に疎開した先で終戦を迎えた。まだ子どもでよくわからなかったが、その日を境に何もかもがかわっていった。
会社を経営していた父は、病弱で、自分の命の限界と、焼け野原になった東京を見限ってすべてを精算して母の実家に身を寄せた。  世田谷の300坪の土地に高価な銘木などを吟味し建てた家から、田舎の馬小屋の端の物置を改造してくれた二間の部屋暮らしとなった。殆ど寝たきり状態になった父は毎日機嫌がわるかった。妻の実家に世話になっている居心地の悪さと、ままにならない体のもどかしさからか。自分の実家に世話になれない事情があり肩身の狭い思いもあったか。 それは、父母の結婚にまで遡る。父は由緒ある旧家の御曹司、しかも親が決めた許嫁がいた。母は山奥の田舎の貧農の娘である。大恋愛の末、親は絶対に許さない。死ぬや生きるやのすったもんだでとうとう勘当されてしまったのである。そんな時代であったのでしょう。
寝たきりの父と3人の子どもを抱え、それまで常に7~8人の使用人がいたような生活は一変、母の苦労は並大抵のものではなかった。母の一生は、朝ドラになるくらいの壮絶なものになった。 祖母も、叔父も私たちの面倒をよくみてくれた。命の恩人と言ってもいいくらいである。
あの日も百日紅の花が、太陽にちりちりとかがやいていた。

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