ちえこのつれづれ日記

はじめてブログに挑戦しました。皆様よろしくお願いします。

79年経っても忘れない日

1945年3月10日、私はまだ
東京に住んでいた。空襲が日に日に
激しくなり友達は皆親戚を頼ったり
集団疎開で東京を離れた。
父は病弱で、頑なに「死ぬときは
一緒に」といって私たち姉妹を
離さなかった。
その日の事は79年経った今でも
ありありと蘇ってくる。空襲警報が
鳴り続き、空が真っ赤に染まり
黒い物が雨のように降っていた。
30万発もの焼夷弾が街を
焼き尽くし10万人以上が殺された
東京大空襲、我が家は戦禍を
免れたが、死体整理に強制的に
駆り出された母は、数日ご飯が
たべられなかった。
人は何故啀み合い殺し合うのか。
ガザやウクライナの人たちが
同じ思いをしていると思うと
心が痛んでならない。


人は二通りを生きることは
出来ないがあの戦争がなかったら
どんな人生を歩んだだろうかと
ときどき思う。忘れることも
大事だけれど、忘れないことは
もっと大事だと思う。


若い人は、太平洋戦争と言っても
絵空事にしか思わないらしい。
日本がどんなことをしたのか、
どんなことをされたのか
よく学んで、以後平和が続くよう
願ってやまない。



今朝の朝陽  平和が有り難い


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